2009年7月 6日 (月)

広末涼子の「マジで恋する5秒前」ってモータウンサウンドなんすか!?

いつものように山下達郎の「サンデーソングブック」を拝聴していた。先週、今週、来週と、「モータウンサウンド」を特集していて、モータウンサウンドの歴史を丁寧に説明してくれ、とても勉強になった。その流れが、ホール&オーツの"Man Eater"やスティービー・ワンダーの"Part Time Lover"(恐らくそうでしょ)に受け継がれていることもよく分かった。

そして日本での影響に話は及び、松田聖子の「ハートをRock」や桑田圭祐の「悲しい気持ち」などがその範疇にあるというのも理解できた。更にその延長線上に広末涼子の「マジで恋する5秒前」があることに話が及ぶと、「へえ〜〜〜〜」と驚いた。まっ、確かにその筋のサウンドであることには違いないが、やはり驚愕してしまった。

もっとも曲を作ったのは彼の奥さんであることを鑑みると、やはり仕掛けた張本人はTATSURO YAMASHITA自身であると私は考えるのである。来週も「モータウンサウンド」を特集するということなので、楽しみにしている。

モータウン『ウィキペディア(Wikipedia)』

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2009年7月 1日 (水)

興福寺の阿修羅

先日、NHK-BSで「阿修羅天平の謎を追う」という番組があり、東京での展覧会開催を機に、この「天平の美少年」と呼ばれる阿修羅像の魅力を、ハイビジョンカメラを用いて多角的に分析しようという試みがなされた。

その阿修羅展が九州国立博物館で14日より開催される。期間は9月27日までと2ヶ月以上もあり、どうにか私も都合をつけて観に行こうかと考えている。

書店にはこの阿修羅像の特集コーナーを設けているところもあり、世間での関心の高さを物語っている。最近この種の展覧会に足を運ぶ機会が少なくなってきたので、向上心を養う努力をしようと思う。

興福寺公式サイト
九州国立博物館公式サイト

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2009年6月23日 (火)

地平線の向こう側へ

今年の4月からワールドビジネスサテライト(テレビ東京/BSジャパン)のエンディングで流れているMISIA の「地平線の向こう側へ」は、東京の夜景が映える素晴らしい曲なのだが、市販はされていないようだ。フルでじっくりと聴いてみたいので、関係者の方々、よろしくお願いします。

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2009年6月22日 (月)

ぶつぶつ独り言(2)

46年ぶりの皆既日食まで丁度1ヶ月となった今日、鹿児島はほとんど雨模様であった。NHKのローカルニュースを観ると、皆既日食の時間帯が最も長い悪石島では、空梅雨で水不足のため、ツアー客用に飲料水を島外から船で搬入する様子が映し出された。久しぶりの日食、しかも皆既日食とあっては、日本中が盛り上がるのも無理はない。


準備万端で世紀のイベントを迎える方々には、まさに水を差すようで誠に申し訳ないのだが、

「日食の当日雨だったらどうすんだ〜。」なんて思ってしまう。

MBCの亀田気象予報士、どうなんですかねぇ?

過去の記事
ぶつぶつ独り言

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2009年6月17日 (水)

足利事件と志布志事件

足利事件で無罪であることが濃厚となり釈放された菅家利和さんが、栃木県警本部長から謝罪を受け、本部長の真摯な態度から栃木県警を許す気になったそうだ。最新のDNA鑑定による結果から足利事件の誤審が明らかになったわけで、進歩著しい最新の自然科学的な手法による結論の精密さに驚かされるばかりだ。裁判の顛末は極めてお粗末と言えるが、栃木県警本部長の謝罪は遅きに失したとしても、多くの人々の理解を得ることができたに違いない。

ところで鹿児島で起きたいわゆる志布志事件である。2003年の鹿児島県議会議員選挙において、立候補者であった中山氏等が、選挙に絡み買収を行ったとして鹿児島県警に逮捕され、取り調べにおいて捜査官に「踏み字」を強要させられるなど、極めて卑劣な方法により起訴されたものだ。

この事件では唯一の証拠とされた供述調書の信憑性を裁判所が完全に否定し、中山氏等12人全員に無罪判決が言い渡された。この件で当時の鹿児島県警本部長は、県警の理不尽な捜査方法が問題とされたことについて、全く謝罪しなかった。裁判官の心証による結論であり、警察の捜査方法に明らかに合理性が欠如したものではないと県警は考えたのだろうが、当然県民の間に生まれたのは県警に対する不信感であった。

志布志事件では「取り調べの可視化」がクローズアップされ、これをきっかけに捜査段階における適法性が積極的に議論されるようになった。優秀な裁判官による判決も所詮は生身の人間の価値判断である。間違いがあり得るのを前提に、その可能性を消去法によって取り除き、当為なものとして結論づけるしかない。

いよいよ7月下旬には実際に一般人である裁判員が参加する裁判が開始される。我が国の裁判制度の歴史にとってまさにターニングポイントになるわけだが、DNA鑑定などの科学捜査の手法も、裁判員制度も、より真実に近い判決を導くものでなければ意味がない。判決の結果が被告の生命に関わるものあればやり直しは利かない。菅家利和さんが、「私の判決が極刑だったら自分はもうこの世にはいない。」と述べられた言葉が私の脳裏から離れない。

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