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2004年5月11日 (火)

端午の節句

日本で端午の節句といえば、5月5日の子供の日として、鯉のぼりを揚げ、粽(ちまき)たべたべ兄さんが、背の長けを計ってくれる日となる。

その起源は中国の楚の時代まで遡り、楚の屈原(BC340頃〜BC278頃)という優れた政治家が陰謀によって国を追われ、汨羅(べきら)という川に身を投げて死んでしまい、彼を心から尊敬する楚の民がちまきを川に投げて、魚が屈原の死体を食べないようにしたことに由来する。ちまきの起源はこの時代にあり、毎年屈原の命日である5月5日に彼の供養のための祭が行なわれるようになり、やがてそれは中国全体に広がっていった。そしてその風習は病気や災いを除けるものとして、中国に定着し、その後朝鮮半島、そして日本にもその習慣が伝播された。

5月10日付けの朝鮮日報日本版(WEB版)が伝えるところによると、韓国が江陵(カンヌン)の端午祭をユネスコの「人類口伝および無形文化財の傑作」として登録しようとしたところ、中国側が端午節は中国の伝統的な祝日であり、文化略奪であると非難したということである。

司馬遼太郎の説明によれば、朱子学一色である李氏朝鮮は、明の皇帝に対し、礼教をもって事(つか)えてきた。ただし明と朝鮮の関係は、ヨーロッパにおける本国と属国というものではなく、本家と分家の関係に似ていた。むろん朱子学イデオロギーという点では、両者は一枚岩だった。(下線部は司馬遼太郎、この国のかたち(一)、尊王攘夷 文春文庫112頁からの引用。)ということになる。

この両国の蜜月は朝鮮戦争を経て、今日の中国、北朝鮮、韓国といった三角関係に変容するに至ったのだが、中国にとって韓国は未だに分家筋という位置づけになるのだろうか。日本の端午の節句は今や極めて風俗化されて、その起源を知る人も多くは無いであろう。中国と韓国との間で、端午節に関して、このような論争が起こるのは、内容の正否は別にして、歴史上の両国のきずなの深淵さを感じるものがあり、興味深い。


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