2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

« 2004年8月 | トップページ | 2004年10月 »

2004年9月

2004年9月 2日 (木)

Deep Blue

この映画は世の中が夏休みに入る前に観るつもりだった。何かの雑誌のレビューを読んで、久しぶりに映画館に足を運ぶ衝動に駆られたのだ。

地方都市に住んでいると、映画というものは、ほとんど採算性重視の大手資本のロードショー作品であり、言うまでもなく主流は大味なハリウッドの娯楽作品になる。文芸的なもの、小資本の個性的な作品を観る機会は稀で、その部分では東京などの大都市に対して羨ましさはある。鹿児島市内でも昔は騎射場という処に「名画座」という名の二番館があり、やや古い作品を安い料金で観ることができたが、名画座は遥か昔に閉館してしまい、今ではそれも叶わない。

世の中が夏休みに入ってしまい、おまけに今年は猛暑。映画館は恐らく混雑しているだろうと勝手に頭の中で想像し、頑固にも夏休みが終わるのを待っていた。台風16号も消え去り、満を持して映画館に足を運ぶ。予想通り館内はガラガラ。ふと見渡すと、結構客の年齢層は高めだ。オジサン、オバサンの姿が目立つ。無論自分もオジサンだが。

遠い昔ではジャック・クストーの「沈黙の世界」、比較的最近ではリュック・ベッソンの「アトランティス」など、海洋もののドキュメンタリー作品はポツポツと存在する。

この「ディープ・ブルー」を観て感じたのは、想像を超えた制作者の忍耐力である。例えば北極の凍り付いた海にポッカリと穴が開いており、哺乳類であるベルーガ(白イルカ)が呼吸をするために絶えず海上に顔を出す。一方で飢えた北極グマが獲物を求めて同じ凍り付いた海の上を彷徨う。するとポッカリと開いた穴にはベルーガの姿が。そしてベルーガに襲いかかる北極グマ。

映画の上では両者の対面は、時間的なロスを端折るために、ストーリーの流れの中で観るものを退屈させることなく展開されるが、ベルーガと北極グマの対面というものは厳寒の氷上の世界で、決して頻繁にあり得ない。両者の遭遇というこの一場面をフィルムに収めるためにカメラを構え続ける制作者の忍耐強さには感服する。

また子連れのクジラに襲いかかるシャチのハンティングはスクリーン一杯に展開し、親クジラの抗戦も虚しく、血しぶきを上げ、子クジラはシャチの餌食となる。そしてシャチは最も好むクジラの喉の周囲だけを貪り、その場所を立ち去る。体全体の僅かな部分のみを食いちぎられ、絶命した子クジラは海洋を漂う。やがて腐敗した肉体は海深く沈み、その肉を他の深海生物が見事に掃除してしまう。残ったものはクジラの骨格のみ。何一つ無駄がない。全くの演出の無い生の事実を観客はそのまま受け入れるしかない。

全編を通してこの映画は、人間はまだまだ海の事を知らないと説く。「宇宙へ行ったものより、深海を訪れた人間の方が少ない」とナレーターが語る。なるほど、一般人がレジャーダイビングで潜ったとしても、せいぜい水深30メートルくらいの浅い海岸部を1時間弱の間、金魚のように、か細く漂うのが精一杯だ。陸の上で万物の神髄を知り尽くしたつもりでも、海中では生まれきたばかりの赤子同然だ。それくらい海洋は無限なのだ。

そしてエンディングで次のように述べて、映画は締めくくる。「昔はシロナガスクジラは世界中に30万頭もいたが、現在その1%しかいない」 

これは商業捕鯨は絶対に許されるものではないとするメッセージにもとれる。エンディングロールには「演奏、ベルリンフィルハーモニー」の文字。 Cool!お勧めできる映画である。

« 2004年8月 | トップページ | 2004年10月 »

無料ブログはココログ