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2005年6月17日 (金)

戦争の悲惨さは伝承できるのだろうか?

今日6月17日は60年前に鹿児島大空襲があった日である。夕方のローカルニュースは犠牲者の慰霊の模様を放送し、戦争の悲惨さを訴えていた。周知の如く鹿児島には戦時中特攻基地があり、知覧の平和会館には特攻隊員の遺影や遺書などが陳列され、戦争の無意味さ、冷酷さをそれらの所蔵品が物語っている。

日頃思うのだが、私を含めて戦争を知らない戦後世代の人間に「人が戦争で死ぬということ」が理解できるのか疑わしい。というのも平和憲法を標榜する日本にあって、普通人が人の死に接するのは葬式などに際して安らかな人の死を目撃する場合であって、例えば目の前で人が無惨に殺されるという場面に遭遇するのは稀であろう。過去の江戸時代の封建制のもとでは公開処刑というものも存在したが、人権尊重主義の現代にあってはそれもあり得ない。

戦争で人が死ぬというリアリティを語るのはどういうことなのだろうか。例えば車を運転していると、猫が車に轢かれて無惨な姿を路上にさらしていることがある。あるいは先日鹿児島で猫の首が切断されて、胴体が放置されていた事がニュースになった。動物の悲惨な死に接しても我々は言いようのない嫌悪感を感じるのだ。

戦争とは爆撃機が突然襲来し、爆弾を雨あられのごとく投下し、それによって無辜の一般市民が惨たらしく死んで行くのである。ある人は爆風で肉体が粉々になるだろうし、ある人は火災に巻き込まれ焼け死ぬだろうし、又ある子供は親とはぐれて餓死するかもしれない。そんな地獄絵は体験者の生の声においてしか語り得ないのである。

戦争の悲惨さを語れる人々の年齢も70歳を超えて年々数少なくなってきた。こういう方々による伝承が絶えた時、日本人は戦争の悲惨さを理解できるのであろうか。戦時中の映像フィルムや写真があるじゃないかと言う人もいるだろう。しかしテレビや新聞などのメディアによって知る戦争に本当にリアリティを感じるだろうか。これらの白黒フィルムによって「人が死ぬ」という事の凄惨な現実を汲み取ることができるだろうか。

ベトナム戦争の惨劇をアメリカのメディアが連日報道したために、アメリカでは反戦運動の機運が高まり、アメリカ政府はベトナムからの撤退を余儀なくされたと聞く。またこの時の経験をもとに、アメリカ政府は湾岸戦争やイラク戦争において徹底した報道管制を敷いたとも聞く。

有史以来戦争が絶えた事は無い。それは時の権力者によって戦争の事実がもみ消され、あるい戦争を体験した人が死ぬことによって本当の戦争というものの伝承が途絶えたからかもしれない。人が戦争で死ぬ事の悲惨さは写真やニュースフィルムだけでは十分に伝わってこない。すると人間は未来永劫にわたって戦争を繰り返す事になるのだろうか?やはり人間は愚かな生き物なのだろうか?

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知覧特攻平和会館 陸軍の特攻による戦死者数は1036名。全都道府県のみならず、樺太や朝鮮半島出身者も出撃している。鹿児島からは40名。人口比を考えると極めて多い。

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三角兵舎 個人的な思想は別にして、全ての人に来て欲しいと思います。そしてそれぞれの立場から、この惨劇のことを考えて欲しい。そう願います。

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三角兵舎内部の様子 この暗い粗末な部屋の中で、多くの若者が、出撃前の日々を過ごした事をあなたは想像できますか?

知覧特攻平和会館の公式サイト

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