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2005年9月

2005年9月24日 (土)

村橋久成

地元の新聞に北海道開拓使麦酒醸造所の生みの親、村橋久成の胸像が札幌に建ったという記事が載っていた。著名な彫刻家中村晋也氏の作品で、北海道知事公館でその除幕式があったということだ。

村橋久成は幕末のサツマスチューデントの一人で、日本初の官営ビール工場を札幌に建設するなどして多大な功績があったが、不遇な最期を遂げ、完全に世間から忘れ去られた存在であった。それを作家田中和夫氏が小説「残響」を書いてこの忘れ去られていた英雄に光をあてたのである。

写真は以前に地元のデパートの物産展に展示されていた北海道へ移送前の同じ村橋久成の胸像「残響」を偶然に撮ったものである。同じ鹿児島の人間としてとても誇りに思えるニュースであった。

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2005年9月15日 (木)

エディプス・コンプレックス

日中はまだまだ日射しが強いが、朝晩は涼しくなり、ようやく熱帯夜からも解放されつつある。

気温が下がってくると、どういう理由かやたら本が読みたくなり市立図書館まで足を運び、無造作に興味をそそられそうなものを探す。因みに図書館は9月24日から10月7日まで整理点検のため休館になるため、10冊まで借りられるらしいのだが、そうおいそれと読みたい本を探し出せるものでもない。

ジャンルを問わず館内をうろうろしていると、3、4冊面白そうなものが見つかったが、その中で「エディプス・コンプレックス論争」なるものが眼に留まり、思わず手に取ってみた。

エディプス・コンプレックスとはオーストリアの偉大な精神分析学者フロイトの言葉で、父親を殺して母親と交わるギリシャ神話のオディプスに因んだもので、その究極の自己愛を少年ハンスの行動パターンから分析し導いたものである。

ハンスは3歳のときに母親におちんちんをいじっていることをみつかり、「おちんちんを切るわよ。」と言われ、去勢不安を抱くようになった。母親におちんちんが無いことを知った子供はそれが去勢されたものと考え違いをし、言いようの無い不安に襲われるというのである。やがてハンスは男女の生殖器の違いを認識して、さらには母親を恋愛感情の対象とするようになるという。それは母親への独占欲であり、その一方で父親を殺したいという欲望に変わるのだと言う。

これに対して女の子の場合は皆がおちんちんを持っているという幻想をやはり抱き、母親におちんちんが無いことを認識すると、やがて自分も去勢されるのだという不安を持ち、母親に対するマイナスの感情が表れると言う。そしてその恐怖は自己と母親との意識の分離によって終わり、最終的に欲望が父親や男性に向かうというのだ。

もっともこの女の子の場合の説明については当然のことながら女性の精神分析学者からの批判があらわれる。すなわち女性が男性性器を持たないことへのコンプレックスとはある種の男性から観た偏見であり、女性は母親との同一化を通じて学習し、女性的になるのだと説く。娘が抱く父親への性願望は男性性器を求めるものではなく、母親との同一化を通して求める感情であると説明する。もっとも母親への同一化から転じて母親蔑視に向かってしまうと、その反動として男性に対する復讐心にもつながるもと述べている。以上はカレン・ホルナイの分析である。

結局男女の根源的な性の違いは50:50でバッサリと分別できるものではなく、それぞれにそれぞれの要素が深く内在していることが分かる。

これは近年話題になっている性同一性障害についての理解の手助けにもなると思う。個人差によって女性であっても男性的要素の強い人や男性であっても女性的要素の強い人は現実的に存在し得るし、それは人間の性の根源的かつ永遠の問題として真剣に取り組まなければならないということである。

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