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2006年11月

2006年11月 4日 (土)

常識人であること

先日、俳優の丹波哲郎が亡くなった。丹波哲郎と言えば、私の年代からすると、「Gメン75」のボスのイメージが真っ先に浮かぶ。作家の塩野七生さんがエッセイ「男たちへ」のなかで、丹波哲郎について語った文章を紹介する。

「丹波------俺だって、好む演出家と好まない演出家がいる。演出家で嫌いなタイプは、弱い者いじめをするやつと、必要もないのに殺すやつ。『豚と軍艦』という映画は好きだったけれど、監督は嫌いになった。最後のところで、波打ち際に仔犬の死骸が五、六匹浮いているシーンがある。それを撮るとき、今まで飼っていた犬をわざわざ注射で殺して水につけた。生きている犬が死んでいく過程だったら、それもやむをえなかったかもしれないが、死んでいるところだけなら、オモチャの仔犬を水につけたって同じことなんです。
塩野七生の感想------ここには、頭の悪い男たちの考える類の芸術至上主義に対する、健全な常識人の側からの見事な平手打ちがある。頭の良い男、丹波哲郎に乾杯! ー塩野七生 男たちへ19頁〜20頁 文春文庫より引用ー」

中2の女子生徒が運動部でのいじめを苦に自殺した事件で、当該中学校の校長が「いじめの事実は確認できなかった」と態度を保留しておきながら、いじめの現場を目撃したとの生徒の証言などから、「いじめがあった」と認めると態度を変更するにいたった。

この一連の流れの中で、私が酷く心を痛めたのは、おのおの立場の違いを越えて、どうして身近にいる人物の死に対して、素直にに哀悼の気持ちを表現できないのだろうか、というもどかしさであった。10代の将来有望な若者の早すぎる死に対して、率直に深い同情の念をよせることができないのだろうか。

教育者は「聖職者」であれとまでは言わない。さりとて優れた「常識人」であれと願うのは、非常識であろうか?

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