2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

« 潮見橋のその後 | トップページ | ドン・キホーテの末裔 »

2008年2月11日 (月)

青幻記

映画「青幻記」をテレビで観た。原作は沖永良部島出身で、太宰治賞を受賞した一色次郎の同名の小説であり、カメラマン出身の成島東一郎監督が脚本、撮影も担当している。さらに脚本には平岩弓枝、伊藤昌輝も参加している。特筆すべきは音楽を武満徹が担当していることだろう。タイトルロールの顔ぶれを観ながら、私はとても興奮した。

オープニングから監督の個性が遺憾なく発揮されている。テレビ用のレターボックスの映像は沖永良部島の珊瑚の海の様子を鮮明に捉えている。1973年の作品であることがにわかには信じ難い。シネスコサイズのカメラにハウジングを施しての水中撮影であろうが、監督の意欲には敬服してしまう。

昭和の初め、主人公の大山稔は母と一緒に、辛い鹿児島での生活に別れを告げて、母の故郷、沖永良部島へ帰る。島には年老いた祖母が暮らしていた。若い母はとても稔に対して優しかったが、病を患っているため、幼い稔を抱擁するようなことはしなかった。年に一度、村人総出の宴の席で、母は病を押して、優雅な島の踊りを披露した。母の姿は美しかった。幸薄き母の畢生の晴れ舞台であった。

ある日稔は母と海辺で魚釣りに興じた。しばらくすると潮が満ちてきて、岩場に取り残される母と子。母は子に陸に上がって助けを呼ぶようにと叫ぶ。母は言う、「陸に向かう間こちらを振り向くな」と。助けを連れて戻った頃には岩場付近に母の姿はなかった。溺死したのだった。母の死後、島を離れた稔は30年後、再び島を訪れる。美しい母の面影が忘れられなかったからだ。稔は母が埋葬されてる墓を訪れ、遺骨を掘り起こす。そして愛しき母の頭蓋骨を強く抱きしめるのだった。生前、決して自分を抱擁することの無かった母。積年の想いを晴らすが如く、母の遺骨を抱きしめる稔。

私は「青幻記」の原作を読んでいない。したがって原作と映画との距離感を汲み取ることはできないのだが、映画の内容はとても幻想的で、色彩的で、寓話的である。映画で、主人公の稔が30年ぶりに訪れる鹿児島は、現実の昭和40年代を撮影した鹿児島であり、稔が降り立つ「西鹿児島駅」はあの三角屋根の旧駅舎であり、更に映像には甲突川に架かる在りし日の「西田橋」が姿を現し、強烈な郷愁を私などは感じ取れる。

成島監督が紡ぎだす映像は、耽美にして、空想的である。主人公の母はリアリティ溢れる母ではない。偶像的であり、神秘的である。南西諸島に残るフォークロアの匂いとも重なる。沖永良部島に色濃く残る琉球文化の香りと、古事記の中の竜宮伝説にも通じる雰囲気がある。母が子に「決して振り返るな」と言い残すくだりは、黄泉の国のイザナミとイザナギの話にも通じるものがある。

稔が母の頭蓋骨を強く抱きしめる場面があり、年代によってはかなり違和感があるやもしれない。生命の誕生と終わりを病院で迎える多くの現代人の感覚からすれば、それもやむを得ない。しかしながらそれほど遠くない時代までは土葬の習慣は残っていたし、一部の大都会を除いて、土葬が法律によって禁じられているわけではない。人間の死にはリアリティがあったのだ。

映画が終わった瞬間、強く感じた。日本人は変わったのだと。この時代のこの雰囲気を再現できる感性の持ち主など、今の日本にいるはずも無い。それはセンチメンタルな懐古主義などではない。例えようの無い喪失感である。

« 潮見橋のその後 | トップページ | ドン・キホーテの末裔 »

コメント

青幻記は監督・役者・音楽の組み合わせが絶妙で二度とこんな傑作はでないだろう。一色次郎もこの映画を
みて感動したに違いない。学生のとき偶然みてその映像の美しさや物語の悲しさが今でも思い出される。出演した田村高広・殿山も故人になり時の経過は早い。
東京映画祭でも上映され親族も来て何か後ろで自己紹介していた。沖の永良部に一色次郎の記念館をたてたい。そしてこの青幻記を後世に伝えたい。これが私の夢だ。この映画にであって本当によかった。この映画は何か今の日本人の忘れ物を教えているようだ。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/21913/40037985

この記事へのトラックバック一覧です: 青幻記:

« 潮見橋のその後 | トップページ | ドン・キホーテの末裔 »

無料ブログはココログ