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2008年2月21日 (木)

ドン・キホーテの末裔

最近あまり本を読んでいないなという自覚はあった。この年齢になってそういった強迫観念と向き合うつもりはないのだが、それほど期待しないで読み始めた本に右脳的創造が膨らみ、一気に読み切るという感触も良いものだ。私が手にした「ドン・キホーテの末裔」は清水義範さんの作品である。

主人公である小説家の「私」の家に送られてきた出版社のPR誌に新連載小説「贋作者アベリャネーダ」が紹介されていた。これは「私」と既知の間柄である「西泉貴嗣」の作品である。一般的な知識で言えば、ドン・キホーテの作者はセルバンテスである。しかしそれは本人の独創的産物ではなく、アラビア語で書かれたモーロ人の手によるものをパクった、というところにこの作品は着目するのである。更にセルバンテスを憎んでいる第三の男(アベリャネーダ)が、彼の鼻を明かすつもりで、ドン・キホーテの続編をつくり、セルバンテスと同様の技巧を駆使して、セルバンテスの前作を凌駕することを目論んでいるのだ。

ところで「私」と「西泉貴嗣」との関係は「セルバンテス」と「アベリャネーダ」との関係とパラレルになているようだ。「私」と「西泉貴嗣」はお互いに小説家であり、ある対談を介して知遇を得るに至ったのだが、それは結果として反目し合う関係にもなってしまった。小説の中の登場人物の対立と、それを取り囲む小説家同士の対立が二重構造となって話は展開する。
 
以上のように内容を説明してしまうと、随分ややこしいものにも思えるが、この本の要諦、それは「パロディ」ということになる。古今東西の文学というものが如何に他人の作品のパロディから成り立っているかということである。人は他人の作品をパクることによって新しいものを創造してきたという自明の事実を、この作品は著者である清水義範のスキルを以て展開してゆくのである。

この作品は決して深淵な純文学でも、高尚な歴史小説でもないが、機智に富んだ佳作である。簡潔にして、それでいて文学の神髄にさらりと注釈を加えているようである。プロの小説家はかくあるべきと思えるほど、饒舌で分かりやすいスタイルがある。一服の清涼剤とでもいうべきか、フィクションというものにある種の倦怠感を感じている人にはお勧めできる本かもしれない。

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