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2008年8月

2008年8月27日 (水)

夏休み子ども科学電話相談(2)

今日もなかなかの爆笑問答があったので紹介する。

小学生:「ウミネコという鳥はなぜウミネコという名前なのですか?」

先生:「ウミネコの鳴き声聞いたことあるの?」

小学生:「はい、あります。」

先生:「どうだった?」

小学生:「カァーって鳴きました。」

先生:「カァーって鳴いた?おかしいな。ウミネコはニャーって鳴くからウミネコって名がついたんだけど。」「動物の名前の付け方なんて、結構、いい加減なんだよ。」

小学生:「へ〜。」

先生:「海にいる黒い鳥のことはウミガラスって言うんだよ。川にいる黒い鳥のことは何て言うと思う?川にいるのはカワガラスって言うんだよ。」「結構適当でしょ。」

小学生:「へ〜。」

先生:「名前の付け方なんて、適当なもんさ。分かった?」

小学生:「は〜い、ありがとうございました。」

2008年8月 7日 (木)

東京物語

だいぶ前のことだが、小説というものにある種の倦怠感が私の中にわき起こり、古典回帰というわけでもないが、試しに「芥川賞全集」を読みふけってみようという気持ちになり、図書館に通い、全集中、戦後の作品となる第四巻からおもむろに読み始めた。

四巻所収の作品に「本の話」というものがある。作者は由起しげ子さん。死んだ義兄の膨大な本を、生活が困窮しているため売却することになり、懸命に売却先を探す中で、本にまつわる義兄と関わりの深い人々との交流を通じて、何とも清心な作者の心情が花開く素晴らしい作品である。
 
この小説を読む際に、気を配りたいのは、作品の時代背景ではないかと思う。「本の話」は1949年のもので、戦後の混乱期に位置し、物質的な豊かさよりも精神性を重んじるこの時代の気配が随所に感じられ、それは穏やかであるために、現代の鋭利なメリハリの効いた「小説」に比べれば、少なくとも現代人の感性からすれば、淡白に感じられるのかもしれない。物質万能主義に浸かってしまった現代の感性に修正を加えないと、この時代の雰囲気は読み取れない。

小津安二郎監督の映画「東京物語」は1953年の作品である。「本の話」と4年しか違わないわけで、同年代の作品と位置づけて構わないだろう。先日BSで放送されたので、久しぶりに楽しんだ。戦後間もない作品であるにもかかわらず、そのテーマは現代的だ。

核家族化がすすみ、家族の情が希薄になりつつある平山周吉(笠智衆)の家族の中で、上京した周吉夫婦に対して戦死した息子の未亡人、紀子(原節子)は献身的に、血の繋がりのある子供達よりも優しく、東京滞在中の義父母の面倒をみる。そんな紀子の優しさを思い出に、義母のとみは東京より尾道に戻ってすぐ他界する。この作品の時間の流れも緩やかに進む。戦前からの大家族的価値観の崩壊に瀕していても、あくまで作品の流れは緩やかであり、精神的な家族の絆を粉々にしてしまうような味付けはやらない。

ハリウッド映画を悪者に仕立てるつもりはないが、あるいはバーガーキングのワッパーのようなジャンクフードを否定するつもりもないのだが、今時の誇張された、鋭利な感性に全てを委ねてしまうと、緩やかな価値観が霞んで見えなくなってしまうのも確かだ。薄味のなかに、穏やかな感受性が芽生えてくる過程を楽しむことも素晴らしいと考える。

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