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2009年6月17日 (水)

足利事件と志布志事件

足利事件で無罪であることが濃厚となり釈放された菅家利和さんが、栃木県警本部長から謝罪を受け、本部長の真摯な態度から栃木県警を許す気になったそうだ。最新のDNA鑑定による結果から足利事件の誤審が明らかになったわけで、進歩著しい最新の自然科学的な手法による結論の精密さに驚かされるばかりだ。裁判の顛末は極めてお粗末と言えるが、栃木県警本部長の謝罪は遅きに失したとしても、多くの人々の理解を得ることができたに違いない。

ところで鹿児島で起きたいわゆる志布志事件である。2003年の鹿児島県議会議員選挙において、立候補者であった中山氏等が、選挙に絡み買収を行ったとして鹿児島県警に逮捕され、取り調べにおいて捜査官に「踏み字」を強要させられるなど、極めて卑劣な方法により起訴されたものだ。

この事件では唯一の証拠とされた供述調書の信憑性を裁判所が完全に否定し、中山氏等12人全員に無罪判決が言い渡された。この件で当時の鹿児島県警本部長は、県警の理不尽な捜査方法が問題とされたことについて、全く謝罪しなかった。裁判官の心証による結論であり、警察の捜査方法に明らかに合理性が欠如したものではないと県警は考えたのだろうが、当然県民の間に生まれたのは県警に対する不信感であった。

志布志事件では「取り調べの可視化」がクローズアップされ、これをきっかけに捜査段階における適法性が積極的に議論されるようになった。優秀な裁判官による判決も所詮は生身の人間の価値判断である。間違いがあり得るのを前提に、その可能性を消去法によって取り除き、当為なものとして結論づけるしかない。

いよいよ7月下旬には実際に一般人である裁判員が参加する裁判が開始される。我が国の裁判制度の歴史にとってまさにターニングポイントになるわけだが、DNA鑑定などの科学捜査の手法も、裁判員制度も、より真実に近い判決を導くものでなければ意味がない。判決の結果が被告の生命に関わるものあればやり直しは利かない。菅家利和さんが、「私の判決が極刑だったら自分はもうこの世にはいない。」と述べられた言葉が私の脳裏から離れない。

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