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2011年7月21日 (木)

草間彌生のように生きたいけれど

先日NHK-BSで放送された「世界が私を待っている・前衛芸術家草間彌生の疾走」を夢中になって観た。

草間彌生語録
雑誌のイベント会場の来賓挨拶の場で、来場者に向かって、
草間:「みなさん、私の生き方について、ご賛成ですか?」
すると来場者から万雷の拍手が起こった。

スタジオにて、
草間:「私って、どうしてこんなに天才なんだろう。」「ピカソも、ウォーホルも、皆出し抜いて、トップに行きたいわけよ、私は。」

文化功労者に選ばれたときのインタビューの際、
記者:「先生にとって、水玉とは?」
草間:「幻覚なのよ。」
記者:「水玉を作品のなかで、どのように捉えているのか?」
草間:「私の手に聞いてくださいよ。」
記者:「年齢のことを言うと失礼かもしれないが?」
草間:「年齢出さないでよ。(現在82歳)」

マスコミの取材後の電話でのやりとり
草間:「今スタジオに取材に来てて、NHKは帰った。他に日テレが来て、信濃毎日新聞が来て、産経新聞が来て、毎日新聞が来て、共同通信社が来て、来てないのは朝日新聞だけよ!どうしてなんだろう?」

1957年、草間彌生は29歳のとき渡米。16年間に及ぶ海外生活が始まった。両親の反対を押切り、昔の絵は全て焼却。過去の作品と訣別した上でのアメリカ行きであった。1973年、アメリカより帰国。アメリカで「ハプニング」と呼ばれた彼女のセンセーショナルな芸術運動は、マスコミによるバッシングの対象となった。彼女につけられたあだ名は「ハプニングの女王」。これが原因で彼女は精神病院に入院。現在も治療を続けている。

草間:「どこの病院のカルテにも草間は強迫神経症となっている。」「どうして沢山の作品を描いているかというと、自殺の恐怖に耐えられなくて、絵の力で生きている。」

アシスタント:「犬(作品)に名前を付けてもらいたいんですが、今までいるのは、バンバン、トントン、アオチャン、チャンチャン、カンカン、リンチャン、リュウチャン。」新しい作品にはSAN SANと命名。「先生素敵ですね。」

インタビュアー:「先生、何枚まで描くんですか。」
草間:「1000枚でも2000枚でも死ぬまで描く。うんと描いて、描きまくって死ぬの。」

作品を完成させて、
草間:「やっと終わった。お疲れさま。やっと終わった。こんちくしょう。完璧だよね。」

昨年の10月、パリで開催された見本市において、一体5000万円の新作があっという間に完売し、その報告を受けて、
草間:「泣きたいくらい。自分の作品が世の中で認められて、言葉もないわ。応援ありがとうございます。良かったね。ごめん、泣いたりして。嬉しいわよ。本当。」

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草間さんは強い女性だ。あの小さな体で理不尽な社会の壁と闘ってきた。世間体とか常識とかのいい加減で曖昧な尺度と対峙した。自分の生き様に正直であり続けてきた。でも私にだって野心はある。怖めず臆せず、前を見つめよう。

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コメント

昨日、埼玉県立美術館で展示を見てきましたよ。
映画も上映され、この番組と同じ監督のお話もあって、とっても良かったです。

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