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2013年7月

2013年7月29日 (月)

確かにね

林修さんの「いつやるか? 今でしょ!」を本屋で立ち読みした。ゆっくり読む時間がなかったので、目次を眺めて、面白そうな部分だけ拾い読みした。

そのなかで、成績が優秀な子ほど、オーソドックスな名前、すなわち普通に読める名前である、という部分を注目しながら、説得力のある記述に興味を惹かれた。成績が上位の子供ほど、◯◯子という名前が多いのだそうだ。

更に読み方が難解な名前の子は、親の期待とは裏腹に、一生自分の名前の読み方を説明することに労力を費やすことになるとも。

確かに歴代の総理大臣の名前を振り返ってみると、読みが難解な人は数えるほどしかいない。林さんの説明は、詳細かつ広汎なデータに基づいた客観的な結論ではないので、推論の域を出ないが、一つの考え方として参考にはなる。


日本の歴代総理大臣


2013年7月15日 (月)

アンソニー・クイン

私はアンソニー・クイン(Anthony Quinn)という俳優を淀川長治さんの「日曜洋画劇場」で放送された「25時/La Vingt-cinquième heure」を観て初めて知った。この映画は1967年の作品で、監督はフランス人のアンリ・ヴェルヌイユ。ルーマニアの農夫ヨハン・モリッツ(アンソニー・クイン)は突然愛する家族と切り離されて、ユダヤ人としてナチスの強制収容所送りとなる。そして、ひょんなことからナチス親衛隊員の目にとまり、今度は理想的なアーリア人とされるのだが、ナチスに加担したとして戦後ニュールンベルグ裁判で訴追され、結局無罪放免となり、愛する家族と故郷で再会して幕が下りるというストーリーである。

映画を観たのは小学生の時だったと思う。かなり昔の話だが、そのタイトルが「25時」という、少し風変わりで、覚え易かったということ、そしてA.クインの風貌が個性的で、強烈な印象が焼き付いて離れなかった、その2点で子供の記憶に留まることになった。したがって彼のことを了知していたわけではなく、後年彼が出演した数多の作品を眺めるにつけ、「あの25時の俳優さんだ」と再確認するのだった。

Wikipediaによれば、彼は1915年4月21日に、メキシコで生まれた。父親がアイルランド系で、母親はアステカ族系とある。彼は実に多国籍な役回りを演じている。エリア・カザン監督の「革命児サパタ/1952年」ではメキシコの革命家、エミリアーノ・サパタ(マーロン・ブラント)の兄、ユーフェミオを演じ、アカデミー賞の助演男優賞(生涯に2回受賞)に輝いている。F.フェリーニの「道/1954年」では粗雑な旅芸人のザンパノを演じた。彼は身長が185cmあったらしく、その屈強な骨格は映像を通して確認できる。

その他、「炎の人ゴッホ/1956年」ではフランス人の画家ゴーギャン、「ナバロンの要塞/1961年」ではギリシャの軍人、「アラビアのロレンス/1962年)ではアラブのハウェイタット族の首長、「マルコ・ポーロ 大冒険/1965年」ではモンゴルの皇帝クビライ、「サンタ・ビットリアの秘密/1969年」ではイタリア人の町長、「ラスト・アクション・ヒーロー/1993年」ではロスのマフィアのボスと、変幻自在に役柄を演じ分け、映画界随一のユーティリティプレイヤーとして名を馳せた。

クインは若い頃、色々な職業を経験した。プロボクサーをしたり、世界的な建築家のフランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)に建築を学んだこともあった。彼が高校生のとき、絵画などに非凡な才能をみせ、その後、建築のコンテストのデザインが評価され、奨学金を得て、F.L.ライトのアリゾナの自宅兼アトリエ、ウエスト・タリアセン(West Taliesin)やウイスコンシンの夏の避暑地、タリアセン(Taliesin)で、建築の勉強に勤しむことになった。建築家の安藤忠雄氏も若い頃はボクサーをしていたということなので、なかなか興味深い逸話だ。彼はライトに勧められて、手術の後などに行われるスピーチセラピー(speech therapy)という専門職のレッスンを受講し、このことが、彼の60年以上に及ぶキャリアへのきっかけとなった。

Anthony Quinn(Wikipedia)


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