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2014年7月17日 (木)

肥薩線PART3(発見・鹿児島!)

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丸池湧水(湧水町)
吉松で「いさぶろう・しんぺい号」に別れを告げ、隼人行きの普通列車に乗込むと、次は栗野駅に停車する。下り方面左側の丸池湧水が、駅のホームからも確認できる。ここは「日本名水百選」にも選ばれており、1日3万トンの湧水量を誇る。

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大隅横川駅

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嘉例川駅(1)

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嘉例川駅(2)
大隅横川駅も嘉例川駅も鹿児島本線(現肥薩線)開通当時からの駅舎であり、鹿児島県内最古のものである。肥薩線は現在も電化されていないので、これらの駅舎は、戦前を舞台にしたテレビや映画のロケにそのまま無理なく使えそうだ。

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隼人駅 
現在ここが肥薩線の終点であり、一日がかりの旅もようやく終わりを迎えた。

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隼人塚の四天王像(霧島市) 
隼人塚は石塔3基と四天王像4体で構成されており、大和朝廷との戦いに破れ、首を切られた隼人の霊を慰めるために平安時代後期に作られたといわれている。大正10年、国の史跡に指定された。

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隼人塚史跡館(霧島市) 
平成13年8月に隼人塚に隣接して開館。館内には隼人塚に関する資料はもとより、南九州一帯の歴史や神話に関するパネル、平安期の石仏等が展示されており、「古事記」や「日本書紀」にも描かれた、古代の隼人族の実像にせまることができる。尚、隼人塚および隼人塚史跡館は隼人駅より歩いて10分足らずのところにあるので、やはり足を運んでみたいものである。

神話の中の隼人
江戸時代の国学者、本居宣長の説によれば、隼人とはハヤブサのように敏捷で、勇猛果敢な人々のことを指した。隼人は四世紀から五世紀にかけて、南九州に登場した部族であり、彼等が文献に登場するのは「古事記」が一番最初だとされている。上巻の「海幸彦と山幸彦」の話の中で、兄であるホデリノ命(海幸彦)が弟のホヲリノ命(山幸彦)に「僕は今より以後、汝命の昼夜の守護人となりて仕へ奉るなり。」と服従を誓う場面がある。これはホデリノ命の子孫である隼人がホヲリノ命、即ち朝廷に従属していく過程を物語の形式で説明したものとされている。この海幸山幸の物語はメラネシアの女人島説話、そしてインドネシアや中国に伝えられている話とも共通しており、これら南方の国々より島々を経由して隼人に伝えられたと考えられている。

隼人の反乱
大宝元年(701)に大宝律令を完成させた大和朝廷は、律令国家体制の確立を押し進めた。大宝2年、政府による戸籍の作成と郡司の派遣に対する反乱が南九州でおこった。戸籍の作成によって名前を相手に知られることは服従を意味し、それを嫌ったゆえの反乱であったと考えられている。また養老4年(720)にも朝廷と隼人のあいだで大規模な争いが生じた。隼人が大隅国守陽侯麻呂を暗殺したのが理由とされ、朝廷は万葉集の歌人としても名高い大伴旅人を征隼人時節大将軍とする兵を派遣した。そしてこの戦いの終結は、そのまま隼人の敗北を意味し、以後朝廷の支配が次第に南九州全体に及ぶこととなった。

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夕暮れの桜島と日豊本線(鹿児島市の磯海岸付近にて) 
隼人から先は、日豊本線により鹿児島までの帰路につく。桜島を中心に見据えながら、錦江湾を南下する。車窓に映る風景はとてもダイナミックであり、ここが、かつて鹿児島本線と呼ばれていた時代に想いを馳せるのも良いものだ。

エピローグ
現在、鹿児島県内では平成16年の九州新幹線の部分開業を目指した工事が、急ピッチで進められている。遂にわが町にも、といった想いがある一方、その代償として鹿児島本線、川内ー八代間の第三セクター化を余儀無くされている。第三セクター化されれば、現在の電化されている路線を維持するのは困難であろう。平成9年のダイヤ改正で特急「はやぶさ」が熊本止まりとなった今、西鹿児島駅に乗入れている鹿児島本線経由の長距離列車は、特急「つばめ」と寝台特急「なは」の2種類のみとなっている。「つばめ」の役割は新幹線に置換えられることになるにしても、長距離列車に揺られて、ゆっくり薩摩路を旅することは今後かなり難しくなるに違いない。

肥薩線は昭和60年の第3次廃止路線の対象に上がりながらも、関係者の努力により、現在まで辛うじて廃線を免れている。幸いにして肥薩線は現存している駅舎やトンネル、軌道をはじめとした、施設の管理状態が極めて良好である。特に人吉ー吉松間は、わが国の鉄道の歴史を語る上で欠くことのできない、保存鉄道の役割を十分に果たしている。また、この鉄道は実際、熊本、宮崎、鹿児島の南九州三県をまたがるように敷設されており、沿線は日本史を彩る様々な出来事の舞台となってきた。今回、私なりに肥薩線の魅力を、その沿線にある希有の素材と結び付けて、紹介してみたが、あまりマニアックな鉄道談義に片寄ることのないよう、注意を払った。

肥薩線がふたたび数多の人びとに知れるところとなり、それによって近隣の地域が活気を取り戻すことを一個人として、心より願わずにはいられない。

2001年6月、8月撮影

(参考資料)
鹿児島県の歴史 原口泉 永山修一 日隈正守 松尾千歳 皆村武一 山川出版社(1999)
街道をゆく3 陸奥のみち、肥薩のみちほか 司馬遼太郎 朝日新聞社(1978)
古事記 次田真幸(全訳注) 講談社(1977) 
鹿児島の鉄道・100年 久木田末夫 春苑堂出版(2000)
かごしま20世紀 山河こえて「鹿児島線を引戻す」 南日本新聞社(2000)
隼人町の歴史 隼人町教育委員会(1996)
日本の歴史(17)「日本近代の出発」 佐々木克 集英社(1992)
詳細日本史(改訂版) 石井進 笠原一男 小玉幸多 笹山晴生 山川出版社(1997)

*お断り このサイトは九州新幹線開業前(2001年)の状況を前提とした記述になります。


肥薩線PART1(発見・鹿児島!)

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