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2014年7月17日 (木)

肥薩線PART1(発見・鹿児島!)

Maphisatsu

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JR八代駅を発車する特急つばめ

四時間足らずの博多発、西鹿児島行きの特急つばめの旅も、程なく終わりを迎えようとしている。もしあなたの旅が先を急ぐものでなければ、ここ八代から肥薩線に乗換えてみるのも面白いのでは。野趣溢れる景観、そして鄙びた駅舎。あたかもSLの時代にタイムスリップしたかのような錯角をおぼえる。100年の時を越えて、存在そのものが奇蹟に近い肥薩線。少し、ゆとりのある自分に浸ってみてはいかがですか。
*お断り 以上は九州新幹線開業前(2001年)の状況を前提とした記述になります。

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球磨川を上る「急行くまがわ」(1)

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急行くまがわ(2)

八代ー人吉間が部分開通した明治41(1908)年当時、日本は日露戦争に勝利してまもなくの頃であり、満州に関東都督府を、植民地化した韓国に朝鮮総督府を置き、大陸への領土拡大を進めていた。西園寺公望を総裁とする立憲政友会は鉄道や港湾の充実を掲げ、地方有力者の支持を得て躍進し、政権を担った時代でもあった。産業の上では、日本においても本格的な産業革命がはじまり、紡績業を中心に輸出が増加し、明治42年には生糸の輸出量は清を抜いて世界一となっていた。日本では、もともと華族を中心にした民営の鉄道が発達し、営業キロ数も民が官を上回っていたが、軍事的理由と経済的理由の両面から、明治39年に鉄道国有法が公布され、主要な幹線は国有とされるに至った。そのような背景の下、鉄道の建設はまさに国家プロジェクトであり、八代ー人吉間開通の翌年、残された人吉から吉松までの間が完成し、首都東京と鹿児島の間がようやく一本の線で結ばれることとなった。


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角櫓、長塀、多門櫓(人吉市) 
球磨川のほとり、人吉城跡に復元された。ちょうど胸川が球磨川に合流する地点。

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青井阿蘇神社(人吉市) 
人吉を治めた相良氏代々の氏神として祭られてきた。司馬遼太郎の「街道をゆく(肥薩のみち)」の中でも「桃山風の楼門」という表現で詳しく紹介されている。尚、人吉城跡も青井阿蘇神社も駅からほど近く、列車の待ち時間を利用して足を運ぶとよい。

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人吉駅を発車する「いさぶろう・しんぺい号」
人吉ー吉松間を毎日一往復している観光列車。一部が座敷仕様になっている。13:30発の列車は球磨川を横切り、一路大畑駅を目指す。

神話の時代より南九州の民を指して、しばしばクマソと呼ぶことがある。「熊曽」「熊襲」「球磨曽於」などと文献によって表記の仕方には差異があるが、いずれにしても古事記のヤマトタケルの征西説話に登場する、クマソの首魁クマソタケルのような、獰猛な動物的イメージに近い人物像を表現しようとしている点では共通している。古事記が著された7~8世紀においては未だ大和朝廷の勢力が不完全であり、国家統一の必要性を、神話を媒介に昇華することで説いたとされている。

人吉は歴史のある町である。この地を治めた相良氏は薩摩の島津氏と並んで、鎌倉の時代より明治維新まで、約700年も続いた最古の家柄である。加藤清正、小西行長が肥後の地を任されたのは豊臣秀吉の時代であり、更に清正の子、加藤忠広が徳川家光によって改易を申し渡され、その後に豊前小倉の細川忠利の肥後転封が決定した。そのあいだも相良氏は、豊沃な人吉の地にあって連綿と代を重ね続けたのであり、そのことを考えあわせても、如何に相良氏と人吉との結びつきが深いかが理解できる。

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大畑駅(1)

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大畑駅(2)
列車は暫く停車し、小休憩ができる。鉄道写真のマニアだと、もう少し時間が欲しいかもしれない。

肥薩線は九州山地最南端部を南北に縦断するため、大畑、矢岳、真幸の各駅は奥山の真只中に位置する。大畑駅最寄りの国道221号は旧来より加久藤越と呼ばれ、藩政時代には、薩摩と肥後を峻別する国ざかいであった。西南戦争で西郷隆盛率いる薩軍も、ここを越え、人吉入りを果たしている。現在は立派な国道として整備され、途中の人吉ループ橋は新たな名所となっている。車で大畑駅まで足を運んでみたのだが、少し骨が折れた。221号沿いにある駅への標識に誘われるがままに交差点を曲がると、いよいよ道は狭くなり、この先、本当に駅に辿り着くことができるのか、心配になる。九州自動車道の立派な高架橋を横目に、広々とした梅林を抜け、更に上ると、やがて木造の古びた駅舎が前方に姿をあらわす。なるほど、現役の駅舎が、そのまま生きた博物館として、そこに納まっているような体裁である。一瞥したところ、民家はなく、ただ山の静けさだけを感じる。悪くない。来て良かった。

肥薩線PART2(発見・鹿児島!)

肥薩線PART3(発見・鹿児島!)

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