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12/03/2014

「フューリー」を観て気づいたこと

話題の映画「フューリー」を観に行った。当日は「映画の日」だったので、料金が1000円で済んだ。やはり興味の中心はボービントン戦車博物館で動態保存されているドイツ戦車のティーガー1の登場だ。本物のティーガーが映画で披露されるのは今回が初めてだそうだ。

「フューリー」が目指しているもの、それはリアリティだろう。ティーガーが戦場に姿を現すまでの前段階においても、これほど多くのシャーマン戦車がスクリーンを縦横無尽に走行する姿は今まで観たことがなかった。制作サイドの本気が伝わってきた。

10代のころ、戦車のプラモデルを作るのに夢中になった。テレビで放送される戦争映画は欠かさず観た。「史上最大の作戦」「バルジ大作戦」「大脱走」等々。更に「遠すぎた橋」「戦略大作戦」などの作品がその後に続いた。これらは興行収入を意識して、娯楽的要素を加味した仕上がりとなった。

ところが、オリバー・ストーン監督の「プラトーン」辺りから戦争映画の様相が変わってきた。娯楽性よりもリアリティを追求するようになった。オリバー・ストーンがベトナム戦争に従軍し、その経験から反戦的な意味を加え始めた。この傾向はスティーヴン・スピルバーグ監督の「シンドラーのリスト」「プライベート・ライアン」にも受け継がれた

ただ、戦争映画にリアリティを追求する意図は理解できるが、それが過ぎると、観衆が離れてしまう。アンジェイ・ワイダ監督の「カティンの森」は戦争の現実が強調され過ぎて、正直なところ、嫌悪感の方が勝ってしまった。

「フューリー」にはラテン系や黒人の兵士も登場する。ドイツ人はドイツ語を話す(笑)。車長のドン・コリアー(ブラッド・ピット)もドイツ語を話す。ティーガーの88ミリ砲が炸裂する。シャーマンの砲塔は敵の砲撃で吹っ飛ぶ。戦車の中では、砲弾の装填の様子が克明に映像化される。これも以前にはなかった。

「殺戮」のシーンが「フューリー」においてもリアリティを以て表現されるが、昨今の戦争映画の同様のカットを度々目撃すると、感覚的に慣れて、驚きが消え失せる。実際の戦争でも人間は次第に「殺戮」に慣れてしまうのだろうか?

監督のデビッド・エアー(David Ayer)は1968年生まれで、アメリカ海軍入隊の経歴を持つ。潜水艦の搭乗経験があり、その知識を活かして「U-571/2000年」で脚本家としてデビューした。今後も戦争映画におけるリアリティの追求は続くだろうが、この映画はマイルストーンと成り得る。万人受けはしないかもしれないが、コアなファンはデビッド・エアーの次回作の上映を心待ちにするはずだ。

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