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2015年3月 8日 (日)

指宿海軍航空隊基地跡

鹿児島県の指宿市に海軍の航空基地跡があることは余り知られてない。私もつい最近まで知らなかった。ここは水上偵察機を使った訓練、対潜哨戒などを主な任務とする部隊であったが、敗戦色の濃い昭和20年には特攻基地に変貌し、知覧基地や鹿屋基地と同様に沖縄戦への本土最前線の要衝となった。

もとより、指宿基地には知覧や鹿屋のような滑走路はなかった。つまり水上偵察機を特攻機に改造したものを前線に送り込んだのである。水上偵察機は戦闘機と違い、航続能力や戦闘能力が劣るのは明白だ。しかし、爆弾一発と片道分の飛行なら転用が可能であると海軍は判断し、作戦を強行した。

任務に参加したのは、ほとんどが予備学生や訓練生で、指宿より飛び立った82名が還らぬ人となった。自民党の高村副総裁はイスラム国の犠牲になった後藤健二さんの死を「蛮勇」と言い放った。goo辞書によれば、蛮勇とは「事の理非や是非を考えずに発揮する勇気。向こう見ずの勇気。」を指すのだそうだ。高村氏は特攻による戦没者も「蛮勇」と呼びたいのだろうか。人の死に蛮勇などあり得ない。

当地は指宿温泉にほど近いが、とても静かな佇まいだ。訪れる人も多くはないだろう。しかし、ここがかつて特攻基地であり、数多の若者が、自身の夢や希望を放棄し、多くの見知らぬ日本人のために、戦地へ向かったことを思惟することができる。

平和である今こそ、彼らが「特攻」によってなぜ命を落とさねばならなかったのか、もう一度推考すべきだ。東京大空襲の後、ドイツの全面降伏の後、もはや日本に100パーセント勝ち目は無かったのに、なぜあの戦争指揮の中心に居た者は戦争を続けたのか。これこそが事の理非や是非を考えずに発揮する行為ではなかったか?

最後に、「特攻」は軍の出撃命令に他ならない。命令に背くこと、すなわち敵前逃亡は本人のみならず親族の不名誉になる。若い兵士に与えられたのは「名誉の死」という選択肢だけだった。当時の若者に突きつけられた余りにも惨い仕打ちを、あなたはどうお考えだろうか。

Kaigun1
指宿海軍航空基地哀惜の碑

Kaigun2
第106震洋隊のスロープ跡
指宿海軍航空隊基地跡にほど近い県道238号沿いにある。案内板がなければ、誰もその存在に気がつかずに通り過ぎるであろう。

震洋とは全長5〜6メートルのベニヤ板製の特攻兵器で、爆弾を積んで敵艦船に体当たりすることを主眼としていた。震洋(Wikipedia)

Kaigun3
魚見港付近の駐車場にある案内板より

リンク
指宿海軍航空隊基地跡

指宿海軍航空基地跡地(空港探索・2)

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