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June 2019

06/17/2019

恒久平和

「なつぞら」を観た。なつは咲太郎と一緒に、生き別れた妹の千遥を探し求めて、千葉の船橋の親戚を訪ねる。しかし、千遥は親戚宅を6歳のときに飛び出し、その後の行方は不明だと復員したおじから聞かされる。北海道で柴田家の人々に可愛がられ、そこで何不自由なく暮らしたなつにとって、妹も親戚の家で幸せに暮らしているとばかり思っていたのだ。なつは独りよがりな自分の幻想を責め、慟哭する。

この物語はフィクションであり、無論、作者の想像上の話なのだが、これに似た事実は、あの戦後の混乱期では無尽蔵にあったに違いない。幼子が兄弟と生き別れ、頼る当てもなく絶望を抱いて、それでも無我夢中で肩身の狭い居候先を飛び出たという話は、あまりにも「非情な仕打ち」である。私も番組を観ながら、胸が締め付けられる思いだった。

本日6月17日は昭和20年の同じ日に鹿児島市にアメリカ軍の大空襲が夜間あり、一晩で死者は2,000人を、負傷者は3,000人を越えたらしい。不思議と数字の印象は、その大きさが自分の理解の範囲を超越すると、それを現実として把握するのは困難になる。さりとて、この惨劇を後世に伝承する必要性は私も感じている。大きな数字を横目に考え込むよりも、無辜の市民を襲った各々「非情な仕打ち」に心を痛め、更なる恒久平和を希求することのほうが遥かに私には理解しやすい。個々の市民の悲しい戦争体験は胸を打つ。

 

 

 

06/08/2019

石橋記念公園

Bridge1 

西田橋全景  橋の長さは49.5Mで1846年に完成。五大石橋の中で7,000両余りの巨額を費やし、最も絢爛な橋となった。恐らく純然たる石橋の中では日本で一二を争う出来映えだろう。

 

Bridge2

西田橋と御門  御門は西南戦争で消失したものを再現した。この橋は薩摩藩主が参勤交代の際に利用したため、五大石橋のなかで、唯一欄干の柱に擬宝珠が設けられている。

 

Bridge3

西田橋  洪水による橋の崩壊を防ぐため、水切りは大きく作られた。

 

Bridge4

西田橋  擬宝珠を施した柱の真下に要石があるのが分かる。楔石(くさびいし)とも呼ばれる。英名はキーストーン(Keystone)。アーチ全体をしっかりと締め付け固定する役目がある。両側からの圧縮に強いアーチ式石橋のまさに要。尚、アーチを下から覗くと、切石が橋軸(橋の進行方向)に直角に配置されている。地震の多い日本ではこの横列方式が主流。

 

Bridge5

西田橋 川床の浸食を防ぐために、護床敷石が敷き詰められている。

 

Bridge6

高麗橋(祇園之洲公園) 橋の長さ54.9Mで、1847年に完成。建設費2,800両。

 

Bridge7

玉江橋(祇園之洲公園) 橋の長さ50.7Mで、1849年に完成。建設費1,560両。

 

 

平成5年(1993)年8月6日、鹿児島市に100年に一度と言われる集中豪雨が襲来し、甚大な被害がもたらされた。これにより市内中心部の甲突川に架かる五石橋のうち、武之橋と新上橋が流出してしまい、完成より約150年を経て、鹿児島の誇りである歴史的財産を失うことになった。その後、甲突川の河川改修が進められ、流出を免れた西田橋、高麗橋、玉江橋は祇園之洲地区に移設復元されることになった。

工事は平成6年(1994)から平成11年(1999)にかけて行われた。当地は石橋記念公園として整備され、公園内には石橋に関する資料を展示した石橋記念館が併設された。そして石橋記念公園は平成12年(2000)に開園した。具体的には石橋記念公園には西田橋が、隣接する祇園之洲公園には高麗橋と玉江橋がそれぞれ保存されている。

石橋記念館 石橋記念公園内にある常設の資料館で、いわゆる「8・6豪雨災害」の惨状と、壊滅的被害を被った甲突川の五石橋の様子、そして西田橋、高麗橋、玉江橋の移設までの経緯を詳しく紹介している。また石橋の歴史や、架橋工事のノウハウを歴史的な視点を交えて、分かりやすく解説している。鹿児島県下の名所旧跡には数多くの記念館、資料館があるが、ここのクオリティはとても高い。将来、エンジニアを目指す夢をもっているような学生はとても興味が湧くはずだ。入館は無料。

岩永三五郎 甲突川の五大石橋の工事を手がけたのは、肥後出身の岩永三五郎(1792~1851)である。薩摩藩第八代藩主、島津重豪(1745〜1833)が甲突川架橋を命じ、肥後より名工の誉れ高い三五郎が招かれ、この工事を完成させた。彼は「種山石工」の流れをくむ職人で、長崎出身の藤原林七がその祖である。林七は長崎から肥後に移り住み、多くの石工を育てた。尚、通潤橋建設に携わった橋本勘五郎は藤原林七の孫である。

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